私的告白『愚図愚図と酔いしれて ・・・』 634
村瀬が何故そんな事情を知っているのか、勲は不思議だった。
野球部だった村瀬の二年後輩に美代子の弟が入部していた。勲も弟の存在は知っていた。その弟からの情報だった。
勲は何か勇気が沸いてきた。
しかし、勲は夜の学校で美代子に話しかけることはしなかった。
格好が悪い。
格好ばかり気にする自分に謙悪感を覚えながら…。
村瀬が何故そんな事情を知っているのか、勲は不思議だった。
野球部だった村瀬の二年後輩に美代子の弟が入部していた。勲も弟の存在は知っていた。その弟からの情報だった。
勲は何か勇気が沸いてきた。
しかし、勲は夜の学校で美代子に話しかけることはしなかった。
格好が悪い。
格好ばかり気にする自分に謙悪感を覚えながら…。
もうひとつ勲を驚かせたのは、あの安田美代子も入学していたことだ。
常に五百数十人中、五十番以内の成績を上げていた美代子が夜間高校に入学している。
勲は美代子に好意を持ってはいたが、家庭環境のことはほんど知らない。村瀬の言うところによると、美代子の家はあまり裕福でなく、昼間は働いて家計を支え夜、勉強する道を選んだのだという。
驚いたことに三年の同じクラスで一番成績の良かった村上も夜間高校に通っていた。
第二学区で一番頭のいい生徒が進学を目指す、府立O高校の受験に失敗したのだ。勲は、ホッとした。
「あの村上でさえ、受験に失敗しよったんや。俺みたいに、ろくすっぽ勉強もせえへんかった奴が、入試に落ちるのは当然の話や」
例によって身勝手な考え方である。
勲は、ポンタの薦めで兄の通っていた府立K高校の夜間に入学した。屈辱だった。
夜間高校に通う夜の六時、勲はT中学の横の道は通らず迂回し、深江橋のバス停から通学した。
クラスの生徒は年齢もバラバラ。年長者は四十を過ぎているおばさんも居た。
勲のせいで羽白は、死んだ。母の死と一緒だ。と、勲はまた、懺悔する。
前栽中庭の小さな池の横の土を掘り、勲は羽白の亡骸を埋めた。
母の写真の入った金のロケットと一緒に…。
「もう、ゴメンや…こんな事、もう、ゴメンや……」
辛い二つの記憶を勲は、こんな形で封印した。
受験に失敗した体験も葬り去りたかった。
イタチに襲われたのだ。タラップの戸を勲は閉め忘れていたのだ。
「何でやねん!お前、しっかりせい!死んだら嫌や!目ぇ開けてくれ!」
勲は、絶叫する。
あの日、勲が母の病床で黄泉の国に旅立とうとしている体にしがみついた記憶が蘇る。
「いやや!お母ちゃん、死んだらいやや!」
一週間前、勲が朝の鳩飛ばしに鳩舎に行く。
いつものように北側の戸を開け、鳩を表に出す。勢いよく鳩の一団は上空に舞い上がる。勲は空を見上げる。
「……おらへん、羽白がおらへん!」
いやな予感がした。鳩舎内に目をやる。
「……おい!どないしたんや?おい、一体どないしたんや!」
亜麻色に手羽先だけが真っ白な、勲が一番気に入っている羽白が、首から血を流して床にぐったり倒れている。
勲は足早に家に入り、二階に上がり、踊り場の戸を開け、板の通路に出、物干し場から裸足で倉庫の屋根の上に立つ。
勲が編み出した口笛を吹き、餌をタラップ上に蒔き、鳩らを鳩舎に無事、入れる。
藤田鳩舎を伏し目がちに見つめながら、勲は倉庫のトタン屋根のてっぺんに座している。焦点はぼやけている。
今は十二羽に鳩が増えた。最初に飼った羽白と灰の番(つがい)が子をもうけ、その子がまた子を産み、キミコウから教わった〝釣り〟などで十羽、増えた。
試験が終わった1週間後、入試結果の発表がH高の玄関横の壁に張り出される。
受験番号136番。勲の受験番号だ。
135番と137番はある。間の136番が、ポッカリと虚しく抜け落ちている。
15歳、人生最初の受験に勲は、不合格だった。
「………」ショックだった。
肩を落とし、踵を返す勲の目に、遠く、こちらを見つめている岡浩子の視線があった。
この時代から、マスコミが指摘し始めた【中学浪人】の身に、勲は晒された。
団塊の世代の厳しい最初の【受験戦争】に、負けた。
一日目の国語から入試は始まり、二日間行われた。
「…どうやった?」
十日ほど前から父と上の兄が土間と台所の改装工事を始めている。父が鉋がけの手を休めて、勲に聞く。
「うん、大丈夫や。心配せんといて」
「そうかあ、そら良かったなあ」
父は微笑む。隣で兄も、ホッとした表情を見せてくれている。
公立高校を受験する者の中には、一種の〝滑り止め〟で私立と併願受験する者も多い。勲は、父に金銭的な負担を掛けたくなかったので専願でH高だけを受験した。それにランクを落としたので合格するのに自信があった。
三月初旬、大阪府下一斉に公立高校全日制の入学試験が行われた。
私立高校の入試はその前に各校が日時を設定して行われていた。
村瀬と本岡はO工業高校を受験はしたが形だけで、すでに推薦入学が決まっていた。
有沢もO工業高校を受験し、すでに合格していた。
亡くなった母と違って父は勲の進路に、とやかく口を挟まない。
だから勲は、自分の進路は自分で決めた。ポンタの進言に従って、ランクを落とし、市立H高校を受験することにした。
後に分かることだが、岡浩子もH高を受験する。
T中校庭でのJ5中生徒の殴り込みに始まった、集団乱闘事件。
パトカーが出動する騒ぎとなり、事件の首謀者の一人として勲はH警察署に補導された。前日から体調を崩した母は、奥の間で寝込んでいる。
次の日から午前中の授業を終えると、H署での刑事の取り調べが続く。
病床の母が、気を揉む。聴取は3日で終わった。 勲が補導されてから一週間後、夕餉の煙が下町の軒先に立ち上る頃、最愛の母は静かに息を引き取った。
高校受験。
勲は医者の兄が通っていた府立K高校を受けたかった。それは単なる希望であって、現実は厳しい。
「…そら、あきませんわ。今の君の成績ではK高校を受験しても合格は出来ません。もっとランク落とさんとなあ。それと、高校受験といえば内申書が物を言います。君の場合はですなあ…二年の夏に事件…いや、何でも無い…」
ポンタの表情が翳る。
担任との個人面談の席でポンタは勲にふと、こう漏らした。
H署に補導された、忘れもしない、あの日の苦い想い出。
「ふ~ん、十五歳の俺は卒業の時はこんな事、考えとったんかあ…。
青いなあ~。そうか、生活指導でよう怒られた白バイは、この年でT中辞めたんやったんかあ…」
ビールを一気に煽る。
「しかし、何で俺は卒業する自分と転勤異動する白バイを〝敗北者〟やなんて、思うたんやろかなぁ?」
烏賊の塩辛をつまみながら、煙草に火を点け紫煙を吐き出す。
「フ~ッ、そうかぁ、これは卒業して高校受験の後に記した文やったんや!」
勲の脳裏に受験地獄だった、あの頃の苦い記憶が蘇る。
あの日からすでに四十年もの歳月が流れている。
涙の合唱が、連鎖し始める。
幼稚園からの友達・有沢も、小学時代の悪戯仲間・村瀬も、一年生の時に手下にしたタドンも…。
♪朝~ゆう~なれ~にし まな~びの~恩
ほた~るの~とも~し火 つむ~白~雪
わす~るる~まぞ~なき ゆく~とし~月~
今~こそ~わか~れめ~ いざ~さら~ば~
『MF倶楽部』のメンバーで、やんちゃやり放題だった仲間の本岡も、ゴンボも、タモンも、西崎も、吉田も皆、泣きじゃくっていた。
講堂内に集う卒業生の中で勲が、一番先に堰を切った。
続いて隣の麻植が嗚咽を漏らす。
勲は、歌い続ける。
♪互~いに~むつ~みし 日ご~ろの~恩
わか~るる~後~にも やよ~わす~るな~
身を~たて~名を~あげ やよ~はげ~めよ~
今~こそ~わか~れめ~ いざ~さら~ば~
♪仰~げば~尊~し 我が~師の~恩~
教の~庭~にも はや~いく~とせ~
おも~えば~いと~疾し~この~とし~月~
今~こそ~わか~れめ~
いざ~さら~ば~
涙が止めどなく、溢れ出る。
止まらなかった。
幼い頃から母を慕い、甘え続け、そして突然、失った。
母という存在への望郷の念。マザー・コンプレックス。
もし交際を申し込んで、断られたらどうすればいいのだろうか?
麻植に向かって「別に仲介役を立てて『あの子なあ、あんたのこと好きらしいねん、交際したって?』言うことがアホらしいんじゃ。好きいうんは以心伝心で分かるもんや。お前、そう思えへんか?」
と、吐いた台詞。
その仲介役さえ立てられずに、悶々としている勲。この性格は、未来にも消えない。
勲二十六歳、一人の女と出会った時、以外には…。
「…アホちゃうかぁ…ボケ!…」
勲は何とも言えない疎外感を覚える。
ぷいと横を向いて勲は、教室を出る。
廊下を北に、そぞろ歩く。隣の6組。岡も踊っている。「…フン!」
7組。安田も踊っている。「……」
疎外感が募る。
「1組の幸代も、踊っとるんやろか? …」
教室は、覗かなかった。
階段を下り、校庭に出る。
50人位の男女の輪が、前に後ろに動いている。
ゆっくりとした足取りで勲は、輪に加わる。
フォークダンス『オクラホマ・ミキサー』。
[ツイスト]が駄目で、フォークダンスはいいのか?
「…アホちゃうかぁ…ボケ!…」
勲は何とも言えない疎外感を覚える。
ぷいと横を向いて勲は、教室を出る。
廊下を北に、そぞろ歩く。隣の六組。
岡も踊っている。
「…フン!」七組。
安田も踊っている。
「……」疎外感が募る。
「一組の幸代も、踊っとるんやろか? …」
教室は、覗かなかった。
放課後、各クラスでは、いろんな催し物が校庭や教室で生徒達のアイデアで行われる。勲は、この[ツイスト]が大嫌いだ。
理由は「男がチャラチャラ、ダンス踊るて、どういうこっちゃ!軽薄や!」
親友の麻植は、南野を相手に熱狂している。
実に幸せそうだ。
教壇の上に置かれた蓄音機。
33回転のドーナツ盤から、アメリカンポップスが流れる。
机と椅子を教室の後方に押しやり、空いたスペースで男女生徒らが向かい合い、両手を左右に振り、腰をくねらせ、片足をタバコの火を消すような仕草をして踊っている。
今、大流行しているダンス[ツイスト]だ。
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