私的告白『愚図愚図と酔いしれて ・・・』 664
「……」
勲は、二つの〝電飾の輪〟をジーッと見つめ続けている。
ドロップ・ハンドルのスポーツ自転車の両輪のリムには、赤色の豆電球が五センチ間隔で取り付けられていて、点灯している。
「……これ、お前が作ったんかあ?」
「そうや…」
勲は呆然とリムを見つめる。
「…どうやって、作ってん?」
「……」
勲は、二つの〝電飾の輪〟をジーッと見つめ続けている。
ドロップ・ハンドルのスポーツ自転車の両輪のリムには、赤色の豆電球が五センチ間隔で取り付けられていて、点灯している。
「……これ、お前が作ったんかあ?」
「そうや…」
勲は呆然とリムを見つめる。
「…どうやって、作ってん?」
有沢は左足を軸に、その場で左回転の姿勢に入る。
ハンマー投げの回転の要領だ。操縦桿と機体を四五度の角度に保って、有沢は左回転を繰り返す。
轟音をまき散らしながら有沢のエンジン飛行機は、飛行を続ける。
「よっしゃ、松本、エンジン掛け!」
「オーライ!」
松本が右手でプロペラを回す。三回ケッチンを喰らう。
ブルッ!ブルッ!ブル~ン、ブル~ン、バリバリバリバリ~ッ!エンジンが掛かる。
有沢は機体と操縦桿のワイヤーをピンと張る。
機体が凸凹の田圃の土の上を滑走し始める。
その刹那、有沢はワイヤーを左に振りながら操縦桿の取っ手を上に上げる。機体が徐々にスピードを増して離陸を始める。
有沢のエンジン飛行機の飛行場は、T中学の東に広がる田圃だ。今は休耕田になっている。そのうち何かの工場でも建つのだろう。
田圃の真ん中に有沢と松本が立つ。真っ赤なラッカーで塗られた機体は、輝いている。そこに松本がしゃがんでいる。
機体の中央には二本のワイヤーが上下に取り付けられている。そのワイヤーの10メートル先に操縦桿がある。
有沢はコ型の操縦桿を右手で縦に握る。取っ手を上に上げれば尾翼が上がり、下に下げれば尾翼が下がる。
カチャッ!カチャッ!何回かケッチンを喰らう。
ブル、ブル、ブル~ッ、ブル~ッ、ブル~ン、ブル~ン、バリバリバリバリ!
プロペラが回転を加えていく。
板が小刻みに振動する。松本が板を両手で押さえる。エンジンテストは大成功だ。
有沢がパイロットで松本が整備士といった役回りか。
小学時代、トヨエースを運転したときの運転手・有沢、車掌・勲と同じだ。
有沢農機の広い敷地の工場の片隅で、有沢と松本はエンジンの試運転を始める。
縦五〇センチ、横一五センチ、五センチの厚みのある板にエンジンを取り付け、プロペラを装填する。
タンクに燃料を入れ、点火スイッチをONに倒す。
有沢が右手の中指と人差し指二本で、プロペラを力一杯下へ回す。
松本博。家業は『伸線屋』。
様々な径の鉄線を伸ばす機械に通して、直径一メートル程の鉄線の束に巻き上げていく仕事だ。
この鉄線は、釘やブロック塀を積み上げていく時の芯などの加工品に使う。
幼い頃から機械いじりの好きだった有沢と松本は、エンジン飛行機で繋がりを持つ。紙飛行機しか作ったことのない勲らにとって、エンジン飛行機は夢の飛行機だ。
それを有沢は持っていた。やはり有沢はとびっきりの〝ええし〟だ。
「藤田、こいつ三年の時の同級生の松本や、知らんか?」
有沢が紹介した松本が右手を挙げて応える。見たことの有るような無いような奴だ。
「これ、こいつが発明しよったんや!」
有沢が誇らしげに二つの〝電飾の輪〝を指さす。
辻々の角の外灯の間に、二つの〝電飾の輪〟が、不気味にこちらに向かって侵攻して来る。
「何じゃとて?」
勲は、狐に摘まれる。
「藤田、俺や、俺や!」
二つの〝電飾の輪〟の後方から有沢幸男の姿が見える。
二つの〝電飾の輪〟が、勲と麻植の目の前に止まる。
「何じゃ?こりゃ!」
黒蜜に濡れた唇を尖らせて、勲は訝る。
勲の作った勉強のスケジュールに従って、二人の受験勉強は順調に滑り出す。
ある日の夜七時、自由時間に勲と麻植は横町の『今井』という長屋の一階で駄菓子屋を営んでいる店で、黒蜜のかき氷を頬張る。
「うっまいなあ!かき氷はなんちゅうても、黒蜜が一番やなあ!」
勲は、かき氷の冷たさで目と目の間の鼻頭を押さえながら、感嘆の声を発する。
「う?…なぬ?…あ、あ、あれ何じゃあ!」
隣の麻植が驚嘆の声を上げる。麻植に釣られて勲が、右手の地道の彼方を見遣る。
麻植は毎朝、八時四五分には雨の日も風の日も自転車でやってくる。
就職した初月給で買った、新ピカのスポーツ自転車だ。ハンドルは勿論、ドロップだ。
勲は義兄の元刑事、和男さんから貰った自転車だ。
麻植の新品が羨ましかった。
まずは勲、得意中の得意の勉強のスケジュール作りから始める。
☆朝の九時から十一時までは、月→国語 火→算数 水→理科 木→社会 金→英語 土→保健体育を、三年生の時の教科書で復習
☆日曜日は休み 祝日は勉強
☆十一時から午後一時までは昼食と夕食の買い出し・調理 十二時昼食&休憩
☆一時から二時までは毎日・体育
☆二時から三時までは毎日・昼寝(幼稚園児か!)
☆ 三時から五時までは、午前中同様の国語・算数・理科・社会・英語・保健体育を、受験用参考書で復習&テスト
☆ 五時から夕食準備 六時夕食&休憩
☆ 七時から九時までは自由時間
二時から三時までの昼寝と、七時以降の自由時間のスケジュールを除けば、完璧な学習内容である。
下町の蒸し々々した七月、二人の【受験戦争】が始まった。
二階の奥の間の端に電気炬燵を置き、勲は洋服箪笥を背に、向かいに麻植が座る。冬になれば炬燵に布団を掛けて電気を入れて暖を取る。完璧な勉強コーナーだ。
京間の八畳は布団二組を敷いてもまだ余裕がある。
麻植が泊まりたい時には、ここで寝る。
麻植の父も、事の次第を妻と子から聞いて了解してくれた。
勲は何か胸の奥に痞えていたものが吹っ飛んで、晴れ晴れしい気分になった。暗雲の隙間から光明が差し込み、急に未来が開けたように感じた。
夜間高校を辞めた勲と、H無線を辞めた麻植は【中学浪人】となった。
「…しゃあないなあ…そやけど藤田君とこに迷惑かからへんかあ?」
「大丈夫です!お父ちゃんも、二人の兄ぃちゃんも麻植君と一緒に受験勉強することに大賛成です!」
「ふむ、こら、彦ちゃん、お前ほんまに受験する根性あるんか?」
「……うん!僕、ほんまは高校行きたかったんや!」
「何言うてんのん!お母ちゃんが高校行き言うたのに、お前が就職する言うて就職先、勝手に決めてしもてたんやないか!」
「堪忍…お母ちゃん、お願いや、僕、高校行きたいねん!」
「…分かった。お前がそこまで決心してるんやったら、お父ちゃんにお願いしてみぃ」
父は勲の考え方に、すぐ賛成してくれた。今度は上の兄も二人で勉強することに理解を示してくれた。
麻植の母に勲は―。月曜から土曜日まで毎朝九時に麻植が自転車で勲の家に来る。昼食と夕食は勲と麻植が市場で買い物して来て、勲の家族分も作る。
夜も九時まで勉強する。日曜日は休み。但し祝日は勉強―と、説明した。
夜の九時までの勉強は遊びに回す―。
勲の策略だ。
「そうや!勉強だけやないぞ、ちゃんと体育の時間も作って、家の前で俺とキャッチボールするんや!」
「キャッチボールかぁ、ええなあ、おもしろそうやなぁ…」
「そや、おもろいぞ!」
麻植と話しているうちに勲はもう、その気になっている。
「まあ、うちのお母ちゃん、藤田のこと気にしてるしなあ」
「気にしてるて、どういうこっちゃ?」
「中学の校外教授や体育祭の時、お母ちゃん、藤田の弁当作ってくれたやろ? …お前が早ように、お母ちゃん亡くしたことを、うちのお母ちゃん気にしてるんや」
「… そうやったんか…おおきに」
「そやけど、お前が話しするいうても、俺、家で勉強なんかする自信無いわ。それに、叔父さん夫婦と同居やしなあ…」
「大丈夫や!俺の家で一緒に受験勉強したらええんや!」
「えっ、藤田の家でかあ?」
「麻植、お前仕事おもしろいか?」
「おもしろないけど、どうしょうもないわ…」
「そうかぁ……ほなどや、お前…、俺と一緒に来年、もういっぺん高校受けてみいひんか?」
「……来年?……高校受ける?……そんなん無理に決まってる!親に言うたら…どつき回されるわ」
「お前とこ、うちみたいにお父ちゃんおとなしいやろ?ほんで、お母ちゃん怖いやろ?」
「藤田の知っての通りや」
「ほな俺が、おばちゃんに話してみるわ!」
上の兄はこの勲の身の処し方に反対したが、父が説得してくれた。
幼稚園を三ヶ月で退園した時、父が母を説得したように…。
幼稚園と同じように、勲は夜間高校を三ヶ月で辞めた。
「お父ちゃん、僕、夜間高校辞めたいねん」
「……せっかく入学出来たのに、また何で辞めるんやあ?」
「入学いうても、試験受けんかて誰でも入学できるんや。それが、夜間高校や。そ、そやから僕、家で勉強する!」
「…そらええけど、家で勉強してどないするんや?」
「あのなあ、しっかり勉強して来年また高校受験する!」
「…そうかあ、それやったら勲の思うようにしたらええがな。頑張りや!」
村上は夜間高校に通いながら来年また希望している府立O高校を受験するという。
クラス一番の秀才だった村上には、目標がある。
この姿勢と努力に勲は、参った。
夜間高校は四年で卒業。これからの四年間を夜間高校で過ごすのかと思うと、勲は憂鬱な気分に襲われる。
仕方なくT中の制服の金ボタンを、紋章の入っていない既製の金ボタンに付け替え、制服姿で通学した。
下校してくる全日制のK高校の生徒と行き交う。勲の劣等感が増幅する。
中学の同級生の村上はT中の金ボタンのままの制服で通学している。
金ボタンを付け替え、格好ばかり気にする自分が、惨めったらしく思った。
そういえば、映画『高校三年生』で主演の舟木一夫は、学生服に白い靴下で黒の革靴を履いていた。
舟木一夫のファンの麻植と見たのだが、勲はもやしみたいな舟木一夫が嫌いだった。
兄に濃紺の紳士用靴下を貰い、黒の革靴を履いて高校に通った。
しかし、革靴に合う服を勲は持っていない。
勲は村上や美代子が居る事で気を取り戻して、夜間高校に通った。
夜間とはいえ入学した勲に父は、黒の革靴を買ってくれた。生まれて初めて勲は革靴を履いた。
「勲、木綿の白い靴下なんか履いて、お前なんや、舟木一夫みたいやないか。格好悪いぞ」
下の兄が勲のファッションセンスにアドバイスを送る。
お好み焼きを食べ、山根と別れて二人は家路に着く。
「藤田、夜間、辞めたんか?」
「ああ…」
「また何でや?」
「何でや言われてもなあ… 」
「そやけど、おっちゃんや兄ぃちゃんに怒られへんかったか?」
「うん、ちゃんと説明して納得してもろた…」
事の顛末はこうだ。
「すまん、確かに俺はこいつが何か、気にいらんのや。そやけど、これからは仲良うするさかいに、堪忍してくれ…」
「…そうかぁ…悪かったなあ、すまんなあ、ほんならここで握手といこかあ」
麻植と職人は握手を交わす。
「お前、名前何ちゅうねん?」
「山根や…」
「ほんで、どこの中学やった?」
「J第五中や」
「ほう、J第五中か?お前、俺のこと知ってるか?」
「……T中の、藤田、やろ?」
「何や、知ってたんか?」
麻植が相好を崩す。
「ほな、俺の奢りで、お好み焼きでも食べよかぁ」
麻植は現金な奴だ。
工場の敷地の南側にどぶ川がある。その土手に上がる。
「い、い、一体、何の用事や?」
「じゃかあしわい!おのれ、こいつをえらい可愛がってくれてるらしいなあ?」
「…可愛がるて、麻植、どういうこっちゃ?」
「お前、いっつも作業中、俺にちゃちゃ入れてくるやないかい!なめてんのかあ」
「そんなつもりや無い。ただ俺はやなあ」
「ただ、何じゃい!われ、なめとったら承知せんど!」
勲が胸ぐらを掴む。
「どいつや?」
「もうすぐ出てきよる…」
勲は門を見つめる。
「藤田、あいつや、あいつや!」
麻植の言葉もよそに、勲はつかつかと同年代の職人に近づく。
「おい、ちょっと顔貸せや!」
くるりと体を回し、勲が歩き出す。
「何でもええんじゃ!黙ってついて来い」
麻植が職人を急き立てる。
H無線―。この当時ではハイテク企業だ。
その工場の門の前に勲は、午後五時、七分袖の縮みの黒シャツに紫色の腹巻き姿、下駄を履いて突っ立っている。
工場のサイレンが鳴り、従業員たちが出てくる。
「おう、藤田!待たせたなあ」
麻植が自転車を押しながら勲に近寄る。麻植は卒業してこの無線工場に就職した。
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